Mai's Blog
私の人生最大の緊急事態
7月3日、無事に陰性反応が確認され、陰性証明書も発行され、飛行機のチケットも買い、ついに日本に帰る日がやってきました。お世話になった校長先生、寮母、いつも留学生の面倒をみてくれていたパスポートの手続きをしてくれる方、看護師などにお別れをし、ノボシビルスクの空港へと出発しました。問題なくチェックインを済ませ、経由地のハバロフスクへと向かいました。ハバロフスクでも問題なく、次の経由地であるウラジオストックの空港に到着しました。乗り換えはこれが最後で次はもう日本、成田空港です。ウラジオストックが出国の地点となるので、陰性証明書などの確認が必要なため再び空港でチェックインを行いました。特に問題なく出国審査の場所まできました。審査窓口で、パスポート、出国カードを提出し待っていました。 しかし、係がビザの確認をしたところで、私と一緒に学校から出発したお友達二人は、脇で待っているように言われました。正直ここまでは想定範囲内でした。なぜなら、私たちのビザの期限が6月30日で切れていたからです。本来なら6月13日に帰国予定でしたので、ビザの更新の必要はありませんでした。しかし、コロナに感染したことで、帰国が延期となり、ビザの期限内に帰国が間に合わないことが分かりました。そのため、学校側はビザの延長を試みましたが、ノボシビルスクの移民局にとある理由で断られました。 その理由に関わってくるのが、プーチン大統領の大統領令です。移民局によるとそのおおまかな内容は、病気や出身国の国境閉鎖などの理由で期限が切れてしまったロシア在住外国人のビザが、9月30日まで自動的に延長されるというものでした。そのため、私たちのビザが切れていても、問題ないと言われていました。出国審査で何か言われるだろうと思っていたので、この大統領令をプリントアウトして万全の対策を行いました。が係の人にこの大統領令を見せると全く把握していない様子で最初から読み始め、上部の管轄に確認しに行きました。さすがにここで帰らせられることはないよね、大統領令も見せたし、と友達と話していましたが、雲行きはだんだんあやしくなり、係が戻ってくると、出国審査を通過することはできないと言われました。私は即座に学校の人に電話をつなぎ説明してもらいましたが、言語が違うかのように、係の人は断固として結論を変えませんでした。大統領令の内容が私たちには適応されないと言われました。何がどう適応されないのかは、電話にでた学校の方たちも理解できなかったそうで、もう私たちは完全に無力でまさかの事態にあっけにとられていました。この飛行機に乗れないと次は1週間後の便しかありません。とりあえず、預け荷物を受け取り、便を変更し、空港から近いホテルの予約をしました。 ここから人生史上最大の緊急事態といえる長いストーリーが待ち受けていたのです。ちなみに今このブログを書いているのは日本です。そのままウラジオストックで難民となりましたなんてことはないのでご安心ください。では続きは次回のブログで。
私の人生最大の緊急事態その2
前回のブログ読んでいただけたでしょうか?前回は出国審査のところで追い返され、ホテルで作戦会議のところで終わっていたかと思います。実は私たち去年もコロナの影響で飛行機の普通便が停止してしまい、臨時便にのってぎりぎりにチケットを購入し帰ってくるという経験をしていて、その時も前日に飛ぶはずの飛行機がキャンセル(欠航)になったりと、毎回帰国の際に何か起こるんですよね。もう勘弁ですよ。話を戻しまして、その後まずウラジオストックの領事館に連絡をしようと思いましたが、その日は日曜日だったので、電話はつながりませんでした。しかし幸い、一緒にいた子の知り合いの紹介でたまたまウラジオストックの領事館のビザの手続きに詳しい方の個人の連絡先を教えていただけることになりました。留学生にとって領事館の方たちは本当にヒーローのような存在で、前回緊急帰国の際も、モスクワの日本大使館の方には大変お世話になりました。このウラジオストックの領事館の方に大統領令を確認していただいたところ、やはり、その内容は私たちには適応されないという判断で、ウラジオストックの移民局でビザの発行をすることになりました。その際、私たちのビザが切れてしまったことの理由を説得できないと、5000ルーブル以下の罰金または最悪の場合5年間の入国禁止令が出されるそうです。この方に私たちの状況を伝えると、説明文書をロシア語で迅速に作成してくださいました。次の日、領事館の方に紹介していただいた通訳の方と一緒に移民局へ向かい、ビザの更新を申請しに行きました。はじめに向かった事務所の部屋ではビザを更新できるといわれ、ビザの手続き受付に行くように言われたのですが、実際に手続き受付にいくと、大統領令によって私たちの期限が切れたビザは自動的に9月まで延長されるため発行することはできないと言われたのです。今までの経緯を説明しましたが、断固として受け入れてもらえませんでした。出国審査で私たちを通さなかった方に問題があるので、そちらの方へ赴くよう指示されました。そのため、通訳の方の車で1時間近くかけて空港へ戻り、出国審査事務所に向かいました。この事務所の場所も空港の入り組んだ場所にあり、事務所に通じる通路に表示もなく、普通には見つけられないような場所にありました。インターホンを押してからしばらくすると、中から国境警備隊の人が出てきました。状況を一通り説明すると、その方は移民局の方に電話して確認をとってくると言ってその場を去りました。戻ってくると、出国審査で私たちを通さなかったのは正しい判断であり、移民局にビザを発行するように頼んだので、また戻るように言われました。今度こそビザが発行できると思いながら、再び車で移民局に戻り、ビザの受付に行きました。しかし、私たちの期待ははかなく打ち消され、
ビザの発行は出来ないの一点張りなのです。正直わけが分かりませんでした。人に対する信頼を失いかけた瞬間でした。
話によると、国境警備隊と移民局の間で長い間、様々な問題での対立があり、今回もこの2つ行政機関での大統領令に対する認識の不一致もそのことが少なからず影響しているそうです。その日はこの2つの機関で会議が行われ、そこで正式に私たちの問題の対処方がきまるので待つように言われました。結局その日のうちには動きはありませんでした。この時が一番精神的にきつかったと思います。まさに難民状態です。翌日の夜領事館から連絡があり、次の日の朝にビザを発行してもらえるように一緒に移民局に来てくださることになりました。当日朝10時に領事館の方、ロシア人の同僚の方と待ち合わせをしビザ発行の受付へと向かいました。すでに顔見知りの受付の方たちが待っていて、ついにビザの手続きをしていただけることになりました。もちろんこの時ひとまず安心しましたが、今までの経験上ビザが実際に手元に来るまでは完全に落ち着くことはできません。本当に何が起こるか分からないので。ビザの手続きのために与えられた書類の記入、パスポートや陽性証明書、飛行機のチケットのコピーを早急に準備し、提出しました。およそ2時間半後ついに10日間のトランジットビザを発行してもらえました。本当に長い道のりで、疲れました。直接出向いてくださった領事館の方や通訳の方がいなかったらどうなっていたか考えるだけでぞっとします。とにかく無事にビザをもらえてほっとしました。残すはPCR検査を受けて、陰性証明書を渡航前にもらうのみとなりました。渡航日まではまだ日数があったので、せっかくウラジオストクにいるので、少し観光することにしました。ここでも、また通訳の方が色々な所へ連れて行ってくださいました。そもそもこの元気なロシア人の通訳の方は、(通称おじちゃん)本業は日本人観光客のツアーガイドだそうで、問題が解決したので、私たちを様々なところへ連れ出そうとやる気満々でした。というわけで、これまでは、なかなか重い内容の文章でしたが、次のブログからはウラジオストクの観光シリーズになるので、気楽にお読みください。それでは次回のブログで。パカパカ!
左:心身ともに疲弊していた私たちにおじちゃんが作ってくれたパスタ
右:ビザ発行の手続きを終えた時の写真
左から、同じ状況にいたMちゃん、通訳の方(おじちゃん)